母が癌の診断を受けて4か月ほどが経ちます。
この4か月の間に手術があり、抗がん剤治療が始まりました。
私にできることは、と思い、月に1回、多い時は2回帰省し、両親の側にいるようにしています。
実際月に2回も帰省すると、大きな出費なのですが、こういう時のために働いているんだ、と仕事があることに感謝します。
そもそも母は、ここ2年くらいずっと頻繁に病院に検査に行っており、MRIも何度も受けていたのです。なのに、要は腕の悪い医者だったため、癌センターに送られた時には、すでに病状がかなり進んでいました。
病気のニュースもショックだったけれど、あんなに検査していたのに、という医者への怒り。そして何より、「どうして私がセカンドオピニオンを勧めなかったんだろう」という自分に対するどうしようもない憤り。
しんどかったし、今でもしんどい。
そんなしんどい中、意外な発見がありました。
それは、他人って、やはり他人なんだな。ということ。
この数か月、私はショックと怒り、後悔が入り混じり、よくメソメソしていたんです。
そんな時、友人達は気にして心配してくれるだろうという私の勝手な(迷惑な)期待があったんですよね。
それが、意外と(笑)気にしてもらえなかった。友人が同じような経験をした時に、私がかなりサポートをした友人でさえ、何だか他人事のように扱われ、一人で勝手に傷つきました。
今思えば、私としては、「どうしてる?」「大丈夫?」などと、声をかけてもらうことを期待していたんだと思うのです。それが、実際には、誰もそんなことあまり聞いてくれず、気にかけてくれなくて、結構驚き、ショックでした。それがそのうち怒りの気持ちに変わってきたりして。
どうにもこうにも気持ちがしんどい時に、この本を読んだんです。
著者はFacebookの取締役の女性で、彼女が旦那さんの死からの経験を綴った一冊です。
ショッキングな事件をどう乗り越えるか、「grieve(悲嘆)」をどう乗り越えるかが綴られており、すごくタイムリーでした。
彼女は旦那さんが亡くなった後の状況について、こう書いていました。
「私の側にいるのが難しい状態の時でも、見捨てないでいてくれる友人が必要だった。」
その気持ち、痛いほど分かりました。
私がショックや怒りで泣き続けていた時、ある友人に「どうして前向きに物事を捉えて、いい方向に考えられないの?」と諭されました。そして私がネガティブなままでいると、「もうこれ以上私に言ってあげられることはないわ」と言われたりして…。
そんな時、「私がこのままメソメソして、面倒くさい存在になっていくと、友人は去っていくんだな」と感じたんです。でも、私には私なりの感情の処理のステップが必要で、だからと言って見捨てないで欲しかったのです。
でもそんな確証はないから、今度は失ってしまうかもしれない不安から、友人にまで気を遣いはじめ、もう訳が分からなくなりました。実際に友人が離れていってしまったとも感じました。
だからこそ、彼女のこの言葉がよくわかりました。
「私の側にいるのが難しい状態の時でも、見捨てないでいてくれる友人が必要だった。」
また、彼女は友人から「どう?大丈夫?」と聞いてもらえないと、「気にしてくれていないんだ」と傷ついたとも書いていました。でも彼女自身の過去を振り返った時に、辛い経験をしている友人に、ひと声はかけても、それ以上声をかけるのは迷惑になるだろう、必要であれば向こうから声をかけてくるだろう、と思ってそっとしておいた事を思い出したと。
私も自分自身を振り返った時、全く同じ経験がありました。そして今まさに、たまたま私と同じように辛い状況にいる友人がいるのですが、その友人に私が最後に「どうしてる?」と気にかけたのはいつだっただろう?わ…もう何か月も前だ…
結局私ばかりが被害者のように思っていたけれど、自分も全く同じことを友人にしていたわけです。なんて身勝手なんだ…
さらに彼女はこう言っています。よく
"treat others as you want to be treated"
自分がしてほしいように、他人にも接しなさい
と言うけれど、grievingプロセスにおいては、そうではなく、こうであるべきだと。
"Treat others as THEY want to be treated"
相手が望むように、その人に接しなさい。
悲しみ方も立ち直り方も人それぞれ違うのだから、「自分ならこうしてほしいな」と考えるのではなく、その人は何を望んでいるかを想像することが大切だと。その通りですよね。私の友人も私に元気を出させる目的で「前向きに考えなきゃ!」と言ってくれたんですよね。でも私はしばらく悲しんで怒らせて欲しかったんです。
更にはこうも言っています。
“Empathy was nice but encouragement is better.”
共感もありがたいけれど、励ましの方がもっと力になる。
「そうだね、辛いね。」と言ってもらうのは、「どうして前向きになれないの?」よりは気持ちが救われるけれど、「一緒に乗り越えよう、側にいるからね。」と言ってもらえるのは100倍くらい安心します。
今回、私がいちばん救われた言葉は、これ。
「いつでも話聞くからね。」
聞いた途端、泣きそうになりました。
この数か月間、いろいろな事を感じ、考えました。そして自分が他人にどう接しているかにも気を付けるようになりました。
母に対してもそうです。「大丈夫、治るよ。」とか、「頑張って」というのは敢えて避けました。その代わりに「これから大変なことも沢山あるだろうけど、お母さん、一人じゃないからね。」と伝えました。
悲しみ方や慰め方に「唯一の正解」はないんだな。
そんなことを考えて過ごす今日この頃。
今の気持ちを忘れないために、ここに忘備録として記しておこう。

