ヨシ、国際離婚して日本へ帰ろう。

アラフォー子無し女子、10年のアメリカ結婚生活に終止符を打ち、日本へ帰国する

慰め方に正解はあるのか

母が癌の診断を受けて4か月ほどが経ちます。

この4か月の間に手術があり、抗がん剤治療が始まりました。

 

私にできることは、と思い、月に1回、多い時は2回帰省し、両親の側にいるようにしています。

実際月に2回も帰省すると、大きな出費なのですが、こういう時のために働いているんだ、と仕事があることに感謝します。

 

そもそも母は、ここ2年ほど頻繁に病院で検査を受けていました。MRIも何度も。
それなのに、結果としては医師の見立てが甘く、がんセンターに回された時には、すでに病状はかなり進んでいました。

 

病気そのもののショックも大きかったけれど、
「あれだけ検査していたのに?」という医師への怒り。
そして何より、「どうして私がセカンドオピニオンを勧めなかったんだろう」という、自分へのどうしようもない憤り。

 

しんどかったし、今でもしんどい。

そんなしんどい中、意外な発見がありました。

 

それは、
他人って、やっぱり他人なんだな、ということ。

 

この数か月、私はショックと怒りと後悔が入り混じって、よくメソメソしていました。
正直なところ、友人たちはきっと心配してくれているだろう、という私の勝手な(そして迷惑な)期待があったんですよね。

 

でも、意外と(笑)気にされていなかった。
過去に同じような経験をした時、私が一生懸命サポートした友人でさえ、どこか他人事のようで。
私は一人で勝手に傷ついていました。

 

今思えば、私はただ
「どうしてる?」
「大丈夫?」
そんな一言を、誰かにかけてほしかったんだと思います。

でも実際には、あまり聞かれない。気にかけられない。
それに驚き、ショックを受け、そのうち怒りに変わっていきました。

 

どうにもこうにも気持ちがしんどい時に、この本を読んだんです。

 

 

著者はFacebookの取締役の女性で、彼女が旦那さんの死からの経験を綴った一冊です。

「喪失」や「grief(悲嘆)」をどう乗り越えるかが描かれていて、今の私には驚くほどタイムリーでした。

 

彼女は旦那さんが亡くなった後の状況について、こう書いていました。

「私の側にいるのが難しい状態の時でも、見捨てないでいてくれる友人が必要だった。」

 

その気持ち、痛いほど分かりました。

 

私が泣き続けていた時、ある友人に
「どうして前向きに考えられないの?」
と言われたことがあります。

そして、私がネガティブなままでいると、
「もうこれ以上、私に言ってあげられることはないわ」
とも言われました。

 

その時、
「私がこのまま面倒くさい存在になったら、友人は去っていくんだ」
と感じました。

でも、私には私なりの感情の処理のステップが必要だった。
ただ、見捨てないでほしかっただけなんです。

そんな確証はどこにもなくて、
今度は「失うかもしれない」という不安から、友人にまで気を遣い始め、
気づけば自分でも何が何だか分からなくなっていました。

 

だからこそ、彼女のこの言葉がよくわかりました。

「私の側にいるのが難しい状態の時でも、見捨てないでいてくれる友人が必要だった。」

 

また彼女は、
「どう?大丈夫?」
と聞いてもらえないことで、「気にしてもらえていない」と傷ついたとも書いています。

でも同時に、過去の自分を振り返り、
辛い経験をしている友人に対して、
「一言は声をかけたけれど、それ以上は迷惑だろう」
「必要なら向こうから言ってくるだろう」
と、距離を取っていたことにも気づいたそう。

 

これ、私も全く同じでした。

 

今、私と同じように辛い状況にいる友人がいます。
でも私が最後に「どうしてる?」と気にかけたのはいつだっただろう?
わ…もう何か月も前だ…

 

結局、被害者だと思っていた自分も、同じことをしていたんですよね。

なんて身勝手なんだ…

 

さらに彼女はこう言っています。よく

 

"treat others as you want to be treated"
自分がしてほしいように、他人にも接しなさい

 

と言うけれど、grievingプロセスにおいては、そうではなく、こうであるべきだと。

 

"Treat others as THEY want to be treated" 

相手が望むように、その人に接しなさい。

 

悲しみ方も、立ち直り方も、人それぞれ。
「自分ならこうしてほしい」ではなく、
「この人は何を望んでいるんだろう」と想像することが大切だと。

その通りですよね。

私の友人の
「前向きに考えなきゃ」
も、きっと励ましたかっただけなんですよね。

でも私はしばらく悲しんで怒らせて欲しかったんです。

 

更にはこうも言っています。

“Empathy was nice but encouragement is better.”
共感もありがたいけれど、励ましの方がもっと力になる。

 

「そうだね、辛いね。」と言ってもらうのは、「どうして前向きになれないの?」よりは気持ちが救われるけれど、「一緒に乗り越えよう、側にいるからね。」と言ってもらえるのは100倍くらい安心します。

 

私がこの数か月で一番救われた言葉は、これ。

 

「いつでも話聞くからね。」

 

聞いた途端、泣きそうになりました。

 

この数か月間、いろいろな事を感じ、考えました。

そして自分が他人にどう接しているかにも気を付けるようになりました。

 

母に対してもそうです。

「大丈夫、治るよ。」とか、「頑張って」というのは敢えて避けました。

その代わりに「これから大変なことも沢山あるだろうけど、お母さん、一人じゃないからね。」と伝えました。

 

悲しみ方や慰め方に「唯一の正解」はないんだな。

 

そんなことを考えて過ごす今日この頃。

今の気持ちを忘れないために、ここに忘備録として記しておこう。